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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)9626号 判決 1986年5月26日

原告

平野義則

右訴訟代理人弁護士

牧野彊

被告

株式会社産業経済新聞社

右代表者代表取締役

鹿内信隆

右訴訟代理人弁護士

加藤義樹

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙第二記載の広告掲載の要領により別紙第一記載の謝罪広告を一回掲載せよ。

2  被告は、原告に対し、一〇万円及びこれに対する昭和五六年八月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、東京都中央区八重洲一丁目六番三号小鉄ビル二階及び三階において八重洲眼科第一診療所(以下「原告診療所」という。)の名称で眼科の診療をなし、かつ、妻平野美保とともに同所に本店を置きコンタクトレンズ等の眼科用医療器具の販売を営業目的とする株式会社八重洲コンタクトレンズ(以下「訴外会社」という。)の代表取締役に就任しているものである。

(二)  被告はサンケイ新聞を発行しているものである。

2  被告は、サンケイ新聞の昭和五六年五月一六日付朝刊に、別紙第三記載のとおり、原告の診療報酬請求及び被告新聞記者と原告とのインタビューに関する記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

3  本件記事は、見出しとして、先ず横書きで大活字をもつて「夫は眼科医、妻は眼鏡店、夫婦で錬金術」と掲記し、その内容として次は縦書きで「無料検査実は……、こつそり保険料請求」と記載し、続いてその概括的説明として被告がリードと称する部分に「メスのかわりにソロバンを手にした算術医たち。サンケイ新聞が入手した診療報酬不正請求の極秘リストには、あちこちの健保組合から告発され、二度、三度と名前が登場する常習の医療機関が少なくない。中でも最高五回も名指しされているのが、東京の玄関口・八重洲のビル内にある眼科医だ。妻が経営する同じビル内のコンタクトレンズ販売会社にやつてくる客に「無料サービス」というふれこみで定期検査を行い、その実、片つ端から診療費を保険請求。錬金術さながらのカラクリだ」と記載している。

それに続いて黒地の上に白く「医療費不正リストから」と浮かび上がらせ不正リストの内容を左記のごとく敷衍する。(イ)その眼科医は原告診療所を営む原告である。(ロ)リストに登場するケースの内A子の場合は、訴外会社でコンタクトを買い、そのとき会員証があれば定期検査は無料と言われその後一、二か月に一回の割合で定期検査を受けたが、初診料、一部負担金もとられなかったので無料サービスと信じていたところ、原告よりM健保組合に対し診療報酬が請求されていることが判明した。このためA子父娘はこんな診療は受けていないと同健保組合に申出て原告診療所のごまかしが明らかになつた。(ハ)次いでBの場合も同様である。(ニ)原告診療所のやり口は訴外会社に来た客をまず原告診療所で検眼、コンタクトを買うと表面的には無料、その実有料の定期検査で診療報酬を稼ぐ方法である。リストを作成した健康保険組合連合会東京支部やM健保組合では「悪質な架空請求だ」と判断し東京都に調査を依頼したが、東京都は原告診療所に患者に保険診療とはつきり伝えるよう指導しただけで一件落着した。(ホ)そして中見出しに「カラクリあばかれ降参」と記載し、叙上の報道の外被告記者の原告への直接取材の模様、原告とのやりとりを掲載し「会員券を診療券に替え、現在は初診、再診、家族の三割負担金など取ることにした。反省している。」との原告の弁明記事を載せ、最後に診療所内に貼つてある「健保法の改正に因りこれまで受取つていなかつた初診、再診料など負担して戴くことになりました」との患者へのお知らせ文の内容を関係のない法律を借用してのごまかしと断定している。

4  本件記事が事実と相違する箇所は、(イ)本文においてまずA子の場合M健保組合にこんな診療は受けていないと申出て原告診療所のごまかしが明らかになつたと断定していること、(ロ)原告診療所内部に貼つた患者へのお知らせ文を関係の無い法律を借用してのごまかしと断定していること、(ハ)リードの部分に不正医療取材班の名を以て無料サービスというふれこみで定期検査を行い、その実片つ端から診療報酬を請求、錬金術さながらのカラクリだと報じていることであり、更にこれを誇張して見出し欄に(ニ)夫婦で錬金術(ホ)無料検査、実はこつそり保険料請求(ヘ)サービスの積り反省してます、カラクリあばかれ降参と本文記事以上に事実無根の事を報じていることにある。

5  一般読者の注意と読み方を以てすれば本件記事によつて原告が診料報酬の架空請求をしていた旨の印象を受けることは全く疑問の余地がない。また、元来見出しとは本文の内容を明確、端的に表現する重要部分であるが、本件見出し記事のごとく本文記事以上に誇張、揶揄的な表現で事実に反する報道をした場合には、それだけで原告の名誉を毀損したものと言うべきである。

6  原告は、昭和三八年に眼科医院を開設して以来真摯に努力した結果、現在、原告診療所及び訴外会社を併せて従業員約四〇名を擁し、患者数年間約四万人を数える程になつた。しかるに一流紙であるサンケイ新聞に本件記事が掲載された結果、原告があたかも悪徳医師であるかの如き評判がたち、特に来院患者、医師会その他の医事関係者に対して著しく名誉を失墜した。

7  よつて、原告は、被告に対し、原告の名誉を毀損した行為に対する賠償として、原告の名誉を回復するために、請求の趣旨第1項記載のとおりの謝罪広告の掲載並びに慰謝料一〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五六年八月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1ないし第3項は認める。

2  第4項以下は争う。

三  抗弁

1  本件記事の公共性と公益目的

昭和五六年当時、医師の乱診乱療、診療報酬の不正請求、医療の商業化等の医療の荒廃及び医療費の増大による保険基金の破綻は重大な社会問題となつていた。被告は、原告の診療報酬不正請求の所為につき、社会的に警告し、世論の力によつてかかる所為を正す目的で本件記事を掲載したのであるから、本件記事は公共の利害に関する事実にかかり、もつぱら公益を図る目的に出たものである。

2  本件記事内容の真実性又は真実であると信じるについての相当の理由

(1) 健康保険組合連合会(以下「健保連」という。)は、被保険者の不要診療の自粛及び保険医療機関の不正な診療報酬請求の発見等を目的として、被保険者に対して医療費通知運動を行う方策を打ち出していた。健保連東京支部も右制度を採用し、加盟組合は医療機関からの診療報酬明細中、組合員から事情を聴取したうえで、なお疑義のあるものについて東京支部に報告することとし、同支部は医療対策委員会を設置し、同委員会は、各組合から報告のあつた疑義事例を検討したうえ、特に悪質な医療機関につきリストを作成し、部内の資料とする一方、監督官庁である東京都知事に通報して監督上の権限の発動を促していた。

被告は、昭和五六年二月、健保連東京支部医療対策委員会の作成した昭和五五年六月から昭和五六年二月までの右リスト(以下「本件リスト」という。)を入手し、これを検討したところ、原告診療所が本件リストに最多の五回にわたり登載され、そのいずれもが、訴外会社でコンタクトレンズを調整した者に対し、原告において原告診療所で診療したとして傷病名を記して診療報酬を請求したとの架空請求の疑いある事実を指摘しているものであることが判明した。

(2) そこで、同年三月、被告記者は、右の疑義事項の確認のため、健保連東京支部加盟の一組合において取材し、同組合担当者から、原告診療所では、会員証を発行し、定期検査は無料であると宣伝していること、疑義を申し出た被保険者はいずれも診療を受けた覚えがないのに、原告において診療報酬の請求をするのはおかしいと訴えていること、原告診療所に対しては同組合以外でも同様の訴えが多いこと、同組合は、会員証で無料サービスと思わせるのは訴外会社の客寄せと定期検査の回数稼ぎが目的であり、患者の知らない病名をつけて診療報酬を請求するのは悪質な架空請求と判断し、都知事に通報して監督上の権限による調査を依頼したことを聴取した。

(3) その際被告記者は、東京都福祉局保険部(以下「都保険部」という。)の右調査の回答書に接し得たが、右回答書には、都保険部は、原告診療所に対し、会員証の発行をやめ、診察券等に改めること、また患者から徴収すべき一部負担金等は必ず徴収し、患者に対し保険診療である旨を十分理解させるよう指導したことが記載されていた。

(4) 更に、被告記者は、同組合に疑義の申立を行なつた数人の被保険者のレセプトに接したところ、いずれについても原告診療所が、徴収していないはずの一部負担金につき徴収したものとして記入処理されていることが判明した。

(5) 被告記者は、同組合に疑義申し出をした患者の一人であるA子について取材したが、その内容は本件記事に掲載されたとおりであり、その他、他の患者についても取材したが、その内容はA子と同様であつた。

(6) 更に、昭和五六年三月下旬、被告記者は、原告診療所を訪れ、原告に対し、取材インタビューを行なつたが、その内容は、本件記事掲載どおりであつた。

(7) 原告は、原告と妻が代表者であつた訴外会社にコンタクトレンズの購入に来た顧客に対し、会員証を発行するなどして、コンタクトレンズの装着あるいはその後の定期検査につき無料サービスであると誤認させ、診療を受けているとの認識を与えず、装着行為、その後の定期検査を行い、患者が負担すべき初診料、再診料、一部負担金の徴収をせず、他方、健康保険組合に対し診療報酬請求を行つていたものである。

(8) 保険医療機関が、患者に診療の認識をさせず、かつ、一部負担金を徴収せずに診療報酬を請求する行為は、保険料と一部負担金により成立している健康保険制度の根幹を揺るがし、顧客の拡大利益追求に走つた保険医療機関にあるまじき行為である。また、昭和五五年法律第一〇八号による健康保険法(以下「健保法」という。)改正(昭和五六年三月一日施行)前から、健保法四三条の八第一項並びに保険医療機関及び保険医療担当規則五条により、保険医療機関には患者から一部負担金を徴収すべき義務があつたから、右行為は、右規定に反する違法行為に他ならない。

(9) 被告が本件記事により報道しようとしたのは右(7)、(8)記載の事実である。本件記事の内容はすべて真実であるか、又は、右取材結果からして、被告が本件記事内容を真実と確信するにつき、相当の理由が存するものである。

四  抗弁に対する認否

1  第1項は否認する。

2  第2項(1)の事実のうち、前段を認め、後段を否認する。

3  同項(2)の事実は知らない。

4  同項(3)の事実は知らない。

都保険部が、原告に対し、会員証の発行を止め診察券に改めること及び一部負担金不徴収の取扱を中止することの二点を指導したことはある。

5  同項(4)の事実のうち、原告診療所が、レセプトに、徴収していないはずの一部負担金につき徴収したものとして記入処理したことは否認するが、その余は知らない。

6  同項(5)の事実は知らない。

7  同項(6)の事実のうち、昭和五六年三月下旬、被告記者が、原告診療所を訪れ、原告に対し、取材インタビューを行なつたことは認めるが、その余は否認する。

8  同項(7)は争う。

9  同項(8)は争う。

コンタクトレンズは直接眼球に触れるもので取扱を誤ると危険であるから、コンタクトレンズ装着のための検眼・装着の指導は医師に限つて行なえる医療行為であり、医療機関が療養の給付を行なつた以上、健康保険組合に対し、その診療報酬を請求できるのは当然である。また、前記健保法改正により健保法四三条の八第五項が新設されるまでは、保険医療機関には患者から一部負担金を徴収すべき法的義務はなかつたのであるから、原告が一部負担金を徴収せずに診療報酬を請求したことは違法ではなかつた。

10  同項(9)の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因第1ないし第3項記載の事実は当事者間に争いがない。

二1  被告の抗弁について判断する。

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、<証拠>中これに反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告診療所と訴外会社は、同一ビルの二、三階に所在し、外見上、その間の建物構造の区分が明確でなく、また双方の従業員も全員白衣を着用し、区別がつきにくい状態で、営業していた。

原告は、昭和五〇年ころから、訴外会社でコンタクトレンズを購入した顧客に対して、訴外会社発行名義の会員証を交付したうえ、右会員証の持参者はコンタクトレンズ装着のための検眼・定期検査は無料であることを告げ、訴外会社に右会員証を持参した顧客に対して、無料サービスのように装い、その実原告において右検眼、定期検査等の治療行為を行い(当初のコンタクトレンズ購入者にはその場で検眼の治療行為を行い)、顧客からは本来健保法上顧客が支払うべき同法四三条の八第一項所定の一部負担金等の金員の徴収をしない一方、健康保険組合に対しては正規の治療行為をなしたとして診療報酬の請求を行う方法をとつてきていた。

(二)  健保連は、かねて、適正な保険医療体制を築くための対策の一環として、医療機関から診療報酬請求のなされた分について、患者に対し右医療費の金額・明細等を通知する医療費通知運動を行なつていた。昭和五四年ころ原告が診療報酬請求をした患者の一部が、右通知を受けて、訴外会社の説明によれば検眼・定期検査は無料のはずであるから右請求は理解できない旨、健保連東京支部加盟の健康保険組合に対し、疑義の申立をした。

そこで、右組合の一つである三井健康保険組合(以下三井健保という。)が都保険部に調査を依頼したところ都保険部は、昭和五六年一月二六日、原告と訴外会社の右診療の実情の調査をしたうえ、原告に対し、患者に保険診療であることを十分理解させるため、会員証の発行を直ちにやめ診療券等に改めること及び患者から徴収すべき一部負担金等は必ず徴収することと指導したため、原告は、同年三月一日以降、右会員証を原告診療所発行名義の診察券に改め、一部負担金等健保法上患者が負担すべき金員を徴収するようになつた。

(三)  昭和五六年当時、医師の乱診・乱療、診療報酬の不正請求、医療費の増大による保険基金の危機等は重大な社会問題となつていた。

被告記者は、昭和五六年二月初めころ、健保連東京支部医療対策委員会が、加盟の組合から報告のあつた診療報酬請求の疑義事例を資料としてまとめた本件リストを入手し、本件リストをもとに、当時社会問題化していた医療問題について、公益を図る方向で、キャンペーン報道をすることにした。そこで、被告記者が本件リストを検討したところ、原告診療所がリスト中最多の五回にわたつて疑義事例として登載されていた。

そこで、被告記者は、同年三月初めころ、健保連東京支部に取材に行き、同支部から本件リストは、医療費通知運動の結果、患者から疑義申出のあつた医療機関について、同支部加盟組合が、疑義申出患者から事情聴取したうえで同支部に報告し、同支部の医療対策委員会が右報告を精査して特に悪質な医療機関と判断したものについて掲載したものであるという説明を受けるとともに、本件リスト全体を報道してほしい旨の示唆を受け、原告診療所について疑義申出を報告した加盟組合が、三井健保であることの教示を受けた。

(四)  そこで、被告記者は、三井健保に赴き、原告診療所についての取材の意図を説明し、その了解を得るとともに担当者から事情を聴取した。その説明によれば、原告診療所について患者から申出のあつた疑義事項は共通しており、いずれも、訴外会社にコンタクトレンズを購入に行くと、受付で会員証を渡され、会員証を持参すれば次回からの定期検査は無料であると告げられたので定期検査に行つたが、一部負担金等は支払つておらず、医療行為を受けた覚えがないのに診療請求がなされているのは不審だというものであるとのことであつた。その際、被告記者は疑義を申し出た患者のレセプト(医療機関からの診療報酬請求の内容が記載されたもの)を見せてもらうとともに、右レセプトでは、原告が実際には患者から徴収していない一部負担金を徴収したかのような記載となつていると説明を受けた。

さらに、被告記者は三井健保の担当者から東京都に対し原告診療所について調査を依頼した際の調査依頼書及び東京都の回答書を見せてもらつたが、右回答書には、調査結果として(イ)会員証の発行は直ちにやめ、診療券等に改め、(ロ)患者から徴収すべき一部負担金は必ず徴収し、患者に保険診療であることを十分認識させるよう指導した旨の記載があつた。

(五)  その後、被告記者は、原告診療所について疑義申出をした患者の一人としてレセプトに氏名の記載のあつたA子に対し、電話で取材したところ、A子は、訴外会社から郵送されて来たダイレクトメールを見て、昭和五一年六月ころ、訴外会社からコンタクトレンズを購入した際会員証の発行を受け、受付窓口で、「次回からは会員証を持参すれば定期検査は無料であるから、できるだけ定期検査は受けるように。」と言われ、その後一、二か月に一度位定期検査を受けたが、一部負担金等の費用は一切支払つたことがなかつたにも拘らず、昭和五四年ころ父親の加盟している三井健保から、A子が原告診療所で診療を受けたということで、原告が診療報酬を請求している旨の通知があつたので、検眼は無料であり診療報酬を請求されるはずはなく、通知を受けた診療行為は受けたことがない旨、父親を通じて疑義の申出をしたということの事情経過の説明をした。さらに、被告記者は、三井健保に疑義申出をした、レセプトに氏名の記載のあつた他の三人の患者にも電話取材したが、その応答内容はA子と同様であつた。

(六)  右取材結果を踏まえ、被告記者は、三井健保に、再度A子らの言い分の確認に行つたが、三井健保では、「診察券の代わりに会員証を発行し、一部負担金を徴収しないのは、患者集め、定期検査の回数稼ぎを目的とするもので、その結果患者の記憶にない診療行為をしたとして診療報酬請求をするのは、架空請求の疑がある。」という見解であつた。

(七)  被告記者は、東京都保険指導課においても取材したが都保険指導課は、原告診療所について調査したことは認めたものの、その内容等については、守秘義務上回答できないとのことであつた。

(八)  被告記者は、一部負担金を徴収せずに診療報酬を請求する所為について厚生省の担当者に見解を質したところ前記健保法改正前から、健保法四三条の八第一項並びに保険医療機関及び保険医療担当規則五条により、保険医療機関は一部負担金を徴収すべきものと解釈し、その旨行政指導してきたという返事を得た。

(九)  以上の取材をもとに、被告記者は、昭和五六年三月二六日、原告診療所方で原告に対し取材インタビューを行なった。原告は、「原告診療所の院長は原告であり、訴外会社の代表取締役は妻である。コンタクトレンズは直接目に触れ、取扱上の危険も大きいので患者に対しては定期検査を勧めている。一部負担金を徴収しなかつたのは患者に対するサービスである。原告は、患者に対して無料サービスであるとは言つてないし、その旨告知するよう指示もしていないが、受付窓口で誤解を与えるようなことがあつたかもしれない。検眼は医療行為であるから保険請求できるのは当然であり、診療行為をしていないのに保険請求をしたことはない。都の指導を受けたことは認める。」等応答した。被告記者が右インタビューを終え退出しようとした際、受付付近に、同年三月一日より健保法の改正によつて一部負担金を徴収することになつた旨の貼紙があつたので、被告記者が、原告に対し、一部負担金の徴収は健保法の改正にかかわらず必要ではないかという趣旨の質問をすると、原告は、「そうですね。」と答え、これを肯定する態度を示した。

(一〇)  被告記者は以上の取材に基づいてサンケイ新聞昭和五六年五月一六日付朝刊に本件記事を掲載した。

以上のとおり認定される。

2  本件記事の内容及び右認定事実によれば、被告は、昭和五六年当時社会問題化していた医師の乱診乱療・診療報酬の不正請求・医療の商業化等を告発するキャンペーンの一環として、原告の診療報酬請求をめぐり患者から申立てられていた疑義等に基づいて本件記事を掲載したものであり、本件記事は公共の利害に関する事実にかかり、もつぱら公益を図る目的に出たものであると判断され、これを左右するに足りる証拠はない。

3  従つて、本件記事が真実であることが証明されるか、または、被告の側において真実であると信じ、かつ、そう信じるにつき相当の理由がある場合には、被告の本件記事の掲載については、不法行為は成立しないと解される。

そこで、前記認定事実と本件記事を対比すると、本件記事の本文(いわゆるリードと称される前文を含む。)が摘示する事実は、大筋において大部分が真実であると認められる。

原告は、医療機関が療養の給付を行なつた以上、健康保険組合に対し、その診療報酬を請求できるのは当然であり保険医療機関が一部負担金を徴収せずに診療報酬を請求することは、前記健保法改正前には何ら違法ではなかつたのであるから、これを不正請求とみなして報道するのは事実に反する旨主張するが、右認定事実によれば、厚生省、東京都及び健康保険組合は、健保法改正前も、同法四三条の八第一項等の規定の解釈により、保険医療機関は一部負担金を徴収すべきものとし、その旨保険医療機関を指導してきているというのであり、さらに、健康保険制度が、組合員の拠出する保険料と一部負担金によつて成立していること、一部負担金の徴収が、患者に過剰診療を受けることを自粛させる効果も期待されており、一部負担金の不徴収は、患者の過剰受診療に結びつき、健康保険組合の支払基金を圧迫して、保険制度としての健康保険制度を破綻させる危険性が大きいことも考慮すれば、たとえ、医療行為はなしたとしても、患者に保険診療であることを認識させず、かつ一部負担金を徴収せずに診療報酬を請求した原告の行為は、診療報酬の不正請求の一例として報道されてもやむを得ないものというべきである。

従つて、被告の本件記事本文の掲載については、原告に対する不法行為は成立する余地がないものというべきである。

三原告は、本件記事の見出しは、一般読者に対し、原告が診療報酬の架空請求をしていたとの印象を与えるものであるだけでなく、誇張、揶揄的で原告の名誉を毀損するものである旨主張する。

そこで、本件記事の見出しが、それ自体、原告の名誉を毀損するか否かを検討する。

一般に、医師の診療報酬の不正請求といえば架空請求を指すものと理解されやすいため、「夫婦で錬金術」、「無料検査、実は……こつそり保険料請求」との見出しは、一般読者に、架空請求を指しているとの印象を与えないではない。しかし見出しは本文と不即不離のものとして理解すべきであり、右見出しを本件記事の本文と合わせて読めば、右見出しは、原告と訴外会社の右認定の診療の実態と診療報酬請求の方法を簡潔に表現したうえで、読者の注意を引こうとしたものにすぎず、原告が診療報酬の架空請求をしていると指摘しているものではないことは明らかといわなければならない。

また、「サービスのつもり、反省してます、カラクリあばかれ降参」との見出しは、原告との取材インタビューに対する被告記者の印象をまとめたものであると解され、いずれも個々に読んでも、総合して読んでも、原告が診療報酬の架空請求をしている旨一般読者に印象づけるものということはできない。

ただし、本件記事の見出しは、「夫婦で錬金術」の如く、その表現方法において一般読者の興味を引くことに重点を置いた比喩や誇張がみられ、錬金術という言葉は、本来の意味を離れて、いんちき、まやかし、ごまかしといつた言葉を連想させる語感をもつものであることは否めないが、新聞の見出しが、簡略かつ端的に内容を表示し、読者の注意を喚起して本文を読ませようとするものである性質上多少刺激的なものになるのもやむを得ないことを考慮すると、本件記事の見出しは、見出しとして許容される範囲に止まり原告の名誉を毀損するものではないと解するのが相当である。

四以上のとおりであるから、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。よつて、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官落合 威 裁判官坂本慶一 裁判官白石史子は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官落合 威)

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